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『次代を担う、エネルギー・水資源』水生圏の可能性、水力エネルギーの活用 2.水力発電に先行する水力(水流)エネルギー利用、水車の歴史

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シリア、ハマの大水車。オロンテス川の水を灌漑や生活の用水として高台へ送るため12世紀頃から作り始められた。

みなさん、こんにちは。シリーズ「『次代を担う、エネルギー・水資源』水生圏の可能性 水力エネルギーの活用」第3弾です。
前回は、水力発電の追及に入る前に、自然エネルギー(水力、風力、太陽光、地熱)について、原理的な考察を行ました。そして水力(水流)エネルギーは、存在の普遍性が高く、エネルギーを取り出すメカニズムも比較的簡単で、潜在エネルギーの水準も高く、今後の自然エネルギーの主役になれる可能性をもっている、ということが分りました。

それで、いよいよ水力エネルギーの追求に入っていきますが、今回は、水力発電に先行する水力の利用、【水車】について書きます。日本では江戸時代後半から盛んに水車を用い、様々な仕事をさせるのに使っていました。11世紀イングランドについて以下のような紹介があります。ヨーロッパでは中世には、相当な規模で水車が利用されていたようです。

南・東イングランドの小河川のほとんどは水車でおおいつくされていた。多くの地域で、水車は互いに1マイルとは離れていなかった。一部の地域では、10マイルの間に30もの水車があった。イングランド全域を通じて、平均すると50世帯ごとに1台の水車があったのである。レイノルズ『水車の歴史』p.62


1.西欧世界における水車

●水車の起源、ローマ時代アナトリア高原(トルコ)で始まる

古代は奴隷(人力)があったのでそれほど水力(水車)に頼る必要がなかった。

水車のことが最初に文献に出現するのはローマ時代である。地理学者ストラボンはその著『地理誌』のなかで、ローマと三度にわたる激しい戦い(ミトリダス戦争)を展開した小アジアのポントス王ミトリダテスが、カイベラに壮大な宮殿を建設し、そこに大きな水車を設けたと記している。このカイベラは、現在のトルコの内陸都市ニクサルのことで、この地は古来から、地形を利用した水車が多数集中していたところで、一九八五年まで営業を続けていた製粉水車小屋が現存している。(中略)
ローマ時代の水車は、主に製粉用と水汲み用(灌漑用)の二つの分野で使用されたが、ローマなどの大都市以外ではあまり普及しなかったという。それは河川の流量の変化に当時の水車では技術的にうまく対応できなかったことと、最大の理由は、奴隷制社会で、いつでも大量の奴隷労働力を安く使用できたためであるという。

物が語る世界の歴史 [1]より引用

●中世、水流の安定したアルプス以北、奴隷制崩壊で本格的に利用開始

中世奴隷制の崩壊で人力に代わる「力」が必要となりアルプス以北(現在のスイス、南ドイツ、オーストリア)で水車が普及していく。当時のヨーロッパの辺境であるイングランドまで波及していた。

ゲルマン民族の大移動で成立した中世ヨーロッパは、初期においては人口も減少し、奴隷制も崩壊していたため、労働力が不足していた。また、中部と北部ヨーロッパの河川の流れは安定していたこともあって、水車は急速に普及していった。一〇六六年の「ノルマン征服」でイギリスを支配したウィリアム一世が、全国の土地と財産の所有状況を調査させて作成した土地台帳『ドゥームズディーブック』は、実に五六二四台もの水車の存在を記録している。

物が語る世界の歴史 [1]より引用

●封建社会の安定→経済進展で様々な仕事に利用。水車は主要な動力源

水車の回転軸の先に様々な機械をつなぎ多様な作業に水車が利用されます。水車は正に万能動力源なのです。

中世ヨーロッパの水車は、ローマ時代の製粉と揚水のためだけでなく、実に多くの分野で用いられるようになっていった。その主なものを列挙しておこう。
ビール醸造用麦芽(モルト)の粉砕、鉱石の粉砕、オリーブ油の製造、砂糖キビ搾り、顔料の製造、刀剣・刃物の研磨、金属板の圧延・切断、貨幣の鍛造(打ち延しのこと)、鉱山の排水と換気、鉱石の巻き揚げ、鉄の鍛造、針金づくり、木材の製材、ふいご(溶鉱炉の)用、毛織物の縮絨など、実に多方面に用いられた。
ローラー臼(粉砕、粉引き)
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回転砥石(刀剣、刃物の研磨)
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水車による鍛造(貨幣の鋳造、金属の鋳造)
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水力ふいご(溶鉱炉、製鉄炉)
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毛織物の縮絨とは織り上った毛織物をたたいて織物を強く、きれいにすることで、ハンマー水車がこの作業を行った。産業革命でアークライトが綿織物用の水力紡績機を考案したのは有名である。
このことがよく示しているように、中世から一八世紀後半の産業革命初期までのヨーロッパの主要な動力、産業上の動力は水車から得られていたということができるのである。

物が語る世界の歴史 [1]より引用

2.日本での水車利用の歴史

●日本での水車利用の歴史、揚水用として始まる

日本では水車は揚水用(水田への水供給)として徐々に普及して行ったようです。

日本の水車についての最初の記録は、「日本書紀」(720)である。推古天皇18年(610)のころ、水力を利用した臼があったことが記録されている。時代は下り、建久6年(1195)の「東大寺建立供養記」には、水車で大量の米を搗き、人力を省いたという記録がある。しかし、一般には、灌漑のための揚水用に利用されることが多かったようである。

2008年サラゴサ国際博覧会「水の論壇」シンポジウムにおける皇太子殿下特別講演 [2]より引用

14世紀初め頃に作成されたと考えられる「石山寺縁起絵巻」には,水車により田に水を引き入れる様子が描かれています(図7)。絵の中の橋は,日本三古橋の一つ,宇治橋とされています。(中略)宇治川の水車は,中世以降,様々な絵画や文献に登場します。主に貴族や大社寺によって設置されたものと考えられますが,この時代になると,日本でも相当,水車が普及していたことを裏付けています。
%E7%9F%B3%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E7%B8%81%E8%B5%B7%E7%B5%B5%E5%B7%BB.jpg2008年サラゴサ国際博覧会「水の論壇」シンポジウムにおける皇太子殿下特別講演 [2]より引用

●江戸後期、原動機としての水車利用(動力水車)が始まる

都市の人口増加、そこへの食料供給、商品供給の必要性が高まり、一気に動力水車が普及して行きます。そして最後には水車を使った紡績工場にまで発展します。

江戸時代には動力水車が大いに発達した。主に米搗(つ)きや菜種油絞りに使われたが、江戸中期から発達した背景には酒造業の発展や城下町への人口集中があった。短期間に大量の米搗きをする必要があることから、大型水車で多数の搗き臼を動かした
江戸後期になると、米搗き以外にも火薬製造や針金づくり、鉱石の粉砕、ふいごの動力、漢方の生薬挽きなどにも利用され、各種産業に応用されるようになる。この他にも、ノコギリを動かして製材をする水車、線香の材料となる杉の葉を挽く線香水車、陶土をこねる陶土用水車、と水の力を動力に変換して、考え得る限りに利用され尽くしたといえる。
北関東と中部地方の製糸工場では、撚糸水車が活躍する。糸を染色してから織る先染(さきぞめ)織物は、生糸が細くて傷みやすいために、生糸を何本か撚り合わせる撚糸工程を経てから染色する。そのため、先染織物の製造には大量の撚糸を必要とするのだ。その動力として、水車が活躍した。

ミツカン小水力の包蔵力 [3]より引用

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ヨーロッパや日本の水力利用=水車の歴史を見てきました。水力(水流)エネルギーは古くから、様々に利用されてきたかとが分りますね。
存在の普遍性が高く、エネルギーを取り出すメカニズムも比較的簡単で、潜在エネルギーの水準も高いのが水力(水流)エネルギーです。今後の自然エネルギーの主役になれる可能性をもっているのが水力です。
改めて、水力発電に可能性が感じられてきます。

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