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『次代を担う、エネルギー・資源』 環境問題・新エネルギーをめぐる観念パラダイムの逆転③

 こんにちは。環境問題・新エネルギーをめぐる観念パラダイムの逆転シリーズ③です。
 近年の様々の環境運動・活動は、環境問題を本質的な解決の方向へ導いているとは、とても言い難く、状況は悪化しています。あらためて、よくよく考えてみると、環境運動に限らず、歴史上、現在までの社会運動と呼ばれるものは、その理念や理想、目標は、達成された試しがないのではないかという疑問が浮かんで来ます。 とすれば、そこには、本質的な問題構造が隠れているのではないか?
 そこで、今回は、環境運動を初めとする「社会運動」の欺瞞構造
に迫ります。
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写真は山里くつきフォトレターさんよりお借りしました。
以下 るいネットからの引用です。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=20054

現実否定の自己欺瞞
不全発の変革意識に対する疑問が浮上した所で、改めて社会運動を総括してみる必要がある。
考えてみれば、史上、社会運動は一度も実現されたことがない。つまり、史上の「社会運動」は全て偽物である。とすれば、「社会運動」の奥には大きな欺瞞が隠されている筈である。
1.原始時代は、祈るだけしか出来なかったが、それは近代の「否定するだけ・要求するだけ」とは全く異なる。原始人は、集団が一丸となり、潜在思念の全てをかけて自然を対象化しているのに対して、近代人は自我に基づいて社会を否定しているだけである。
同類闘争という観点から見ても(そこでは当然、敵に対する否定意識が存在するが)、それは直ちに闘いに直結しており、近代の様に要求するだけという状態は有り得ない。
2.古代の思想運動(孔子、釈迦、キリストetc)
原始人は、絶対的な自然圧力を前にして、とことん自然を対象化した。しかし、古代人は自然圧力ではなく(自然圧力に比べれば変革が容易な筈の)敵対的な現実の共認圧力を絶対的な壁として不動視し、その現実を否定的に捨象した。
換言すれば、古代人は現実の共認圧力を捨象して全く対象化しようとはしなかった。そして専ら、頭の中の本源回路を代償充足させる為の、感応観念(価値観念や規範観念)に収束した。
彼らは、何故、現実の共認圧力を対象化できなかったのか?
それは、共認圧力というものが、単なる対象物ではなく、自分自身(の生み出したもの)に他ならないからである。
つまり、彼らが否定する現実とは、彼ら自身の私婚・私権の共認や、力の追共認に基づいて作られた現実である。従って、現実を否定する以上、自分自身の存在(自我や私権や力を求める下部意識)の否定に向かわざるを得ない。
実際、彼らは頭の中だけで自らの存在(下半身)を否定して、感応観念に収束した。観念の倒錯である。しかし、現実の存在(自らの下半身)を頭の中で否定することはできても、現実に否定することは出来ない。そうである以上、頭の中だけで現実=自らの存在を否定するのは自己欺瞞であり、その自己欺瞞の故に意識と存在(思想と現実)は必然的に断絶し、分裂することになる

 環境問題と呼ばれるものには、たとえば、CO2(地球温暖化)、ゴミ問題、砂漠化etc.様々のものがあります。しかし、それらは、個々の問題に対する個々の目先の処方箋らしきものは、それぞれありますが、本質的には、市場社会(私権社会)の仕組み、私権の共認を根本から見直さなければ、解決の糸口は見つかりません。
 しかし、それは、超難課題なので、真正面から対象化しようとしていない。、自らが、私権主体であるにも関わらず、それを頭の中で否定し、個々の課題の目先の手法に収束することによって、頭の中だけで代償充足をしている(ex.良いことをしているという自己満足)のが、現在の環境運動ではないでしょうか。そして、代償充足であるが故に、元々の環境問題を解決するという目的が、いつしか、代償充足そのものが目的に摩り替わり、個々の環境団体、サークルの活動維持が第一というレベルにずり落ちているのが、現在ではないでしょうか。そのため、多くの環境団体は、横のつながり(ネットワーク)化が進まず、個々の活動に閉塞している状態です。
 そして、この欺瞞構造は、まともに考えようとする人間も、巻き込んでします恐ろしさもあります。
やはり、環境問題は、社会共認の問題であり、その認識を共有することが、まずは、もっとも重要なことではないでしょうか。

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