みなさんこんにちは。間が空いてしまいましたが、前回の続編です。前回は、「環境活動が閉塞している一方で、農が注目されているのはなんで? [1]」という事について触れました。共認充足 に導かれるかたちで、旧い観念を突き抜けて農収束しているというお話でした。
今回は、「環境問題や、エネルギー政策を考える上で、どんな観念が必要とされているのか?」をもう少し鮮明にしてみたいと思います。
[2]
八方建設さん [3]よりお借りしました。
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それを考える上で、参考となるものを紹介します。
るいネット [4]から「不全発の『変革の必要』から、実現発の『認識の必要』への大転換」リンク [5]
以下引用です。
不全捨象→充足基調の循環〔図解〕 [6]
1.実現発の『認識の必要』は、充足基調・可能性収束の大潮流に応えることが出来る。
2.『可能性を感じさせる、深い=新しい認識』こそ、実現派を主対象とする「運動」に相応しい目的である。
それに対して、不全発の「変革の必要」では、否定意識に閉ざされた思想派しか集まらず、全く可能性が感じられない。しかも、否定意識や不可能視に囚われているので、『新しい認識』が与えられても半信半疑のままで終始し、必要な行動に至らない。
3.『認識の必要』なら、そのまま(一段階で)『実現論』や『まつりネット』に直結する。
それに対して、「変革の必要」は、まず「根底からの社会変革の必要」、次に「その為には、新理論が必要」という二段階の言葉(論理)が必要になる。しかも、その二つの論理共が、(上記の如く、社会派・思想派にさえor社会派・思想派だからこそ)スンナリとは受け容れられない。
4.『新しい認識』が広まってゆけば、自ずと社会はあるべき根底からの変革の方向に向かってゆく。つまり新しい認識こそが、真の変革気運を作ってゆく。
「答えがない」という状況認識の下では、「不全捨象の充足基調⇒本源収束」が強まっていきます。そこでは、実現=充足となり、可能性への渇望(実現の意志) が高まっていきます。
なにかしらの問題や課題を本当に何とかしよう と思うなら、まずは「なんでそうなっているのか?」と原因や状況を把握しようとする意識
に向かうのが自然だと思うのですが、環境問題の具体的アプローチ方法を見てみると、「まずはできることから・・・」とか、「やらないよりはマシ・・・」など、原因や状況の把握よりも、とにかく変える
まずは行動
というものが多いような気がします。
本当に何とかしようと思うなら、つまり実現しようとするなら、変革の必要ではなく、原因や状況の把握⇒認識の必要というところにつなげていく必要があると思います。 😮