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『次代を担う、エネルギー・資源』 環境問題・新エネルギーをめぐる観念パラダイムの逆転①

こんにちは。久々の登場です。
 
これから、新エネルギー・資源シリーズの1つとして、 「環境問題・新エネルギーをめぐる観念パラダイムの逆転」 を扱って行きます。
 現在、環境問題・エネルギー問題に取り組んでいる団体・サークルは数多く存在しますが、そのほとんどが行き詰まり、団体間のネットワーク化も進まず、環境活動自体が閉塞状態にあります。
 一方で、新資源、新エネルギーの可能性の発見や、「農」に関心を寄せる若者が増えているなど、従来の環境問題やその本質である市場経済を超えた可能性へ収束する流れも芽生え始めています。
 その差は、何なのか?
それは、環境問題を考える上での観念が旧く、みんなの潜在思念と大きなズレがあることに原因があるのではないでしょうか?
 この視点を基に、では、どんな観念が必要とされるのかを追求して行きます。
と同時に、我々、日頃、農に携わっているので、新エネルギーの発掘と並ぶ課題でもある「エネルギー循環」の1つとして、従来の化石燃料に依存しない循環的農業(システム)についても、現場からの実感も含めて追求しますのでよろしく!

 エネルギー循環に則った農業を考えるだけでも、有機農業、自然農法etc.は、数多ありますが、これが、決定打、あるいは、この地方、条件では、これっと言えるような確立したものは、まだありません。やはり、それらも、みんなの潜在思念とフィットしたものにはなっていなくて、観念が先行しているからではないでしょうか。
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KITA-NATTOな日々★blogさんからお借りしました。  自然農法国際開発センターさんからお借りしました。
 
では、
第一回目は、
環境活動が閉塞している一方で、
農が注目されるのはなんで?  

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るいネットからの引用です。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=19576 [3]

必要意識⇒課題意識には、不全発と可能性発の二通りある!
変革期待は、変革の必要を意識していなければ生じない。しかし、不全捨象・課題捨象(つまり変革の必要意識を捨象)した以上、変革期待は生じない筈である。
脳回路上の意識には、最新・現在・蓄積の時間差がある。つまり、新しい意識(情報)は次々と処理されて蓄積されてゆく。(注:この蓄積回路は、本能を含む過去からの塗り重ね回路であると同時に、現在形において作動している現在回路でもある。)
1絶えず、新たにor現在形で、社会不全(危機・閉塞)が意識される。
2しかし、「答えがない」という状況判断によって、不全は捨象され封印される。=不全が処理される。
2’と同時に、潜在思念の奥に封印された社会不全が蓄積されてゆく。
3不全・課題を捨象した事によって、全回路が充足収束して、意識(=時代)の充足基調を形成する。
1’しかし、絶えず新たな不全(危機・閉塞)現象が生起し、意識される。
この1’→2・2’→3→1’の循環においては、絶えず新しいパターンの危機・閉塞が話題になる(古いパターンは処理済みで、あまり話題にならない)。従って絶えず新たに社会不全が意識されており、その限りで変革期待は生じる。
しかし、その社会不全も、数日~数週間で「答えがない」という状況判断によって、捨象・封印されてゆく。従って、社会不全⇒変革の必要意識は流産し続ける。流産した社会不全⇒課題意識は封印されたまま潜在思念の奥に蓄積されるが、答えがないままに、やがてそれも風化してゆく。
注:ここに至れば、例え今、答えを示されても、容易には信じられず、半信半疑となり、従って行動力が出ない(行動に至らない)。
この循環を通じて、唯一、充足基調⇒本源収束の回路だけが強化されてゆく。
ところが実現派(特に本源派の女)は、即座に不全処理をして終うので、(社会不全そのものは潜在思念に封印されて蓄積されるとしても)、変革の必要意識が一旦は生じたのか否かさえ疑問で、まして明確な課題意識などはそもそも生じていないので、潜在思念にも何も蓄積されていない。
しかし、実現派にも(本源派の女と云えども)、実現=可能性収束の必要は在る。その限りで無意識の必要意識は在る。
そして、実現=可能性収束する為には、何よりも深い=新たな状況認識が必要(かつ有効)である。
つまり、実現派には不全発の課題意識はないが、可能性発の必要意識はある。
従って、『(社会)変革の必要』から、『(構造)認識の必要』へと、目的・路線を大転換すれば良い。これが、運動論の最終解答である。

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福井県定住促進総合サイトからお借りしました。
環境活動が行き詰まる一方で、若者の農収束、そして、世間でも農への注目が集って活力ある面白い取り組みが増えています。
 これは、
前者は、不全発の課題意識:環境破壊(不全)→社会変革が必要→答えがない⇒自分達の活動維持に埋没→閉塞
後者は、可能性発の必要意識:私権崩壊→共認充足の可能性⇒みんな期待(農、食、共同体の再生が必要)に収束 ⇒活力再生

  ということで、特に、若者が農収束しているのは、旧い不全発の観念ではなく、新しく開かれた共認充足の可能性に素直に向かっているからではないでしょうか。
 環境問題、そして、これからの新エネルギーの課題を考えて行く上でも、個的消費生活(エネルギ浪費生活)ではなく、共認充足に満たされた生活に転換して行くことが、キーになって行くのでは無いでしょうか

 どれだけ、高性能で、エコな(?)車を買って乗り回しても、共認充足は得られません!
 今時、若者の間では、車に乗って遊びに行くより、農に関わるほうがカッコイイことですもの。

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