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健康=元気の素ってなんだろう?その9~充足していける秘訣2「自分=相手」

共認充足が元気 健康の素
前回の記事 [1]は、 自我回路より共認回路を使うことで、もっと充足していける秘訣 を書きました
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今回も、もっと充足していける秘訣 を紹介していきます
さて、みなさん
仕事がしんどいナァ… って思っちゃう時、こんな意識に陥っていませんか
「なんで、自分ばっかり・・
「人にやってもらうのが申し訳ない・・ 😥 」

「どうせ、私がやればいいんでしょ 👿 !?」
これって、自己犠牲と思って仕事している時….
(仕事に限らず、家庭や友達関係でもあるかも知れませんね。。)
「自己犠牲」って、どこから来る意識なのでしょうか?
そう感じちゃうのって、なんでなんでしょうか?

続きを読む前に・・
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自己犠牲は旧い。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=84818

役に立てたら嬉しい、みんなの期待が活力源といった話になると、「まずは自分が幸せになる事が大事なのよ。」とやんわり反対意見を言う人がいます。その言葉の奥には、みんなや相手のことを考えると自分に不利益が生じてしまう(=自己犠牲?)という感覚が見てとれます。
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 相手にとっての充足が、すなわち私益を得ることであって、相手が得をするということは、多かれ少なかれ自分の取り分が減る(損をする)という事が前提にないと、「自分の幸せが大事」という発想も「自己犠牲」という発想も生まれません。みんなが私権を共認していれば、相手の充足(私権充足)=自分の非充足(損)が成立しますが、これは私権時代においてのみ成立することです。要するに、自己犠牲はもう旧い。
 相手の期待に応える事が充足につながる共認原理の社会においては、相手(みんな)=自分であり、相手が喜ぶ事で自分が損をすることがあれば、それはいわゆる「偽善」と呼ばれる行為でしかありません。
(今や、偽善的な振舞いは相手にも不快感を与えるだけで、互いに充足できない。)
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>それとも自分と相手がイコールの比重を持つのでしょうか?もし、自分と相手がイコールの比重を持つとすれば、その主体はもはや自我では在り得ず、(当然、個人という観念も消えて)全く新しい概念が必要になります(リンク [5])
 「共認」は、相手(の充足)=自分(の充足)。人が喜ぶ顔を思い浮かべただけでも嬉しくなったりヤル気が出てくることを思えば、そこに「自己犠牲」という発想は生じません。
 この相手=自分を明確に理解するための根拠が、人々の活力源が「私権原理から共認原理に転換している」ということ。これさえ把握できれば済むだけの話なのです!

自己犠牲という感覚は、私権第一の時代特有のものだったんですね
時代は、私権原理から共認原理へ移行しています
「お金よりやりがい 」「モノより気持ち 」の時代、共認充足が最大の活力源
私権で得られる充足とはパイの大きさや数、つまり「総量」が決まっていてそれを奪い合う世界
対して、共認充足の「充」は「満たす」ではなく「充たす」という字が使われています

この「充たす」とは・・・
器の大きさは決まっておらず、充たされるほど、どんどんその器は拡がっていく。
なるほど!! 「充足」とは、どんどん拡がっていくもの
心の器は充たされるほど拡がるし、その充足がみんなに伝播し、充足の輪がみんなに広がっていくという意味でも、「みたされる」という字は、「充たされる」なんだ。
リンク [6]

なぜ共認充足だと、どんどん膨らませていけるのか というと、
共認充足は、お互いの(みんなとの)期待⇔応望のやりとりから生まれます
期待し合い、応え合う・・
期待されたら、応えてもらったら、
自分ももっと期待したくなるし、応えていきたくなる・・

その期待⇔応望のやりとりがどんどんふくらんでいくと、
そこでは、もう自分の想いも期待も応望も、
相手の想いも期待も応望も一体のもの
になっています
「相手=自分」
これが実感できて固定化できると、
損得ではなく、相手・みんなの充足を基準に共認充足を生み出していくことができます
これも、日々充足して、元気でいられる秘訣のひとつです
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