これまで日本の林業~森林バイオマスについて調べてきました。
1プロローグのあと、2黒液では、一つの工場の中ならば、廃棄物も有効に使われているのが解ります。3木片でも、製材所→木質材料製造メーカーといった一連の産業の中ならば比較的無駄なく使われています。しかし、廃棄物として製造サイクルから一歩外に出されれば、市場価値は無くなり、厄介者扱いとなります。4間伐材で判るのは、林業そのものでは大量の未利用バイオマスが存在していることです。
これら、森林バイオマスを有効に利用するためには、林業の復興が不可欠です。
その可能性を見ていきましょう。
日本は世界有数の森林資源保有国であり、永久的に太陽エネルギーを森林という形でバイオマスに転換できる国土風土を持っていることは間違いないのですから。
写真は森林・林業学習館 [1]さんからお借りしました
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まず、林業そのものをどうするのか?
るいネット [2]
これからの林業~間伐は必ずしも必要でない
「日本の森はなぜ危機なのか」田中敦夫著 より1
日本の森林は昔から現在のような比較的高い森林率が確保されていた訳では無い。戦国時代の建設ブームと明治近代化、戦前の戦時体制の時代に危機はあった。むしろ、批判の多い戦後大規模造林時代に多くの森が育ち現在の森林率となっている。これは林業が評価されていい。
今我々がイメージする林業は戦後形作られたもので、昔は林業が儲り、輸入材で衰退したという訳ではない。過去、林業が儲かったことは無い。過去は必要に応じて木を山から切り出していた。
今の林業は吉野杉の林業を参考にしたものである。
吉野杉林業は非常に産業として確立された体系を持っていた。吉野では農作業を行う必要も無い、林業だけで生計を立てる村落があった。
山の斜面に高密度に植林し、一定期間ごとに間伐を行う。小口径から中口径へ少しずつ常に間伐を行い、その間伐材も市場に出す。そのため常に仕事があり、現金収入がある。高密度ゆえ、杉は真っ直ぐに伸び、枝は少なく、成長が抑制されるので年輪密度は高く、建設木材としては最高級のものが育つ。こうして、見事な杉林は育ち、且つ事業として成立する。
そうして、200年を超える杉が育った森は、保水性など森林の環境性能も最高レベルであり、杉人工林だからダメだということにはならない。
しかし、その技術は吉野の高級建材を生み出す技術であり、これを日本全国の林業のモデルにしたところが間違っている。
実は間伐を行わなくても木は育つ。
既に国内では数箇所で実験に成功しており、手入れしないブッシュの中から苗は付きぬけ、弱い樹は淘汰され朽ちる。そこで残った成長した樹は、間伐をして手をかけた山の樹の本数とほぼ変わらない。
間伐を行わなければ、生産コストは下がる。
つまり、実は林業が今日的な意味で産業として成り立った経験がまだ無いのです。
古くからある、ブランド木材は、その地域で産業として成り立ってきましたが、戦後全国で植林された圧倒的多数の森林は、産業として洗練される前に輸入材によって駆逐されてしまったのです。
では、可能性は無いのでしょうか?
一般的に日本の林業は、①規模が小さくスケールメリットが出せない、②下刈や間伐作業の人件費がかかりすぎる、③急斜面地が多く搬出ルートが取りにくい、といったコスト高要因が衰退の原因とされていますが、ほんとうにそうなんでしょうか?
似たような条件で木材を輸出し、産業として成り立っている国があります。
るいネット [3]
先進国なのに林業が成り立つ北欧
日本の林業はペイする可能性は無いのか?日本の条件に近い北欧でコスト競争力のある木材が生産されていた。
誰が日本の森を殺すのか 田中敦夫著 より1
日本の木材は約8割が輸入材。最大の輸入先は22%ある北米だが、欧州材が最近増えている。
その多くは北欧から来る。先進国でなぜ林業にコスト競争力があるのか?
1立方mを生産するのに、日本は73ドルかかっているが、スウェーデンは6.3ドルである。
実は北欧の林業家も日本と変らぬ小規模なのだ。しかし、林業家同士で組合を組み、スケールメリットを出している。
加えて、ほとんど手間をかけない。植林さえしない。伐採した後、放っておいてもその地域の樹種が育つ。
こうして、輸出出来る木材を育てている。
つまり、上で上げたコスト高要因の①②はやり方で解決できるのです。
実際、日本でも組合を組んで、情報と作業を共有化し、林業のスケールメリットを追求しているところがあります。
日吉町森林共同組合 [4]
こちらでは、林業の山用地売買の仲介もしており、組合員=仲間を増やす努力もされています。
中国は国内森林伐採を禁じ、輸出を止めました。現在、中国国内の木材は主にロシアからですが、今後、世界は資源の囲い込みにシフトし、木材も輸出が減ってゆくでしょう。極力国産材を活用する事が求められます。
写真は中部森林管理局 [5]さんから
また、国産材が外材に比べて割高なのは、円高の影響が大きいのです。25年間で米栂は3.3倍になりましたが、日本では1.2倍くらいにとどまっています。
売れない元凶はコストだけではありません、他にもあります。
鵜野日出男の「今週の本音」 [6]より
それは、ある離島での「森について考える会」でのこと。著者もパネラーの一人として招かれていた。
その島は江戸時代から林業が盛んで人工林もかなりある。しかし、近年は木材が売れないから山が荒れてきている。
「もっと地元の木材を使っていただきたい」と森林所有者から当然の要望が出された。
これに対して客席にいた地場の工務店主がマイクを持つと「私はどんなに頼まれても地元の木材は使いません」と断言したという。 その理由は「いくら乾燥しろといってもしない。製材の寸法が狂っている。期日どおりに納品されたためしがない。これで使ってくれと言われても…」。
つまり、いまどき相手の立場も考えないで平気で自分の勝手で商売をしているのが山林所有者。 また、大阪で開かれた林業関係のシンポジウムで、会場の建築関係者から質問が出た。 「一般の商取引ではある程度まとめて計画発注すると仕入れ価格が下がるのが普通。ところが、国産材は大量に発注すると逆に単価が上がる。こんなまか不思議なことが平気で起こる。しかも注文どおりの量が納期に届かない。なぜなのですか!」 ・・・
これが、産業としてまだ成立していないということです。
なんでこんな状態が続いたのか? るいネット「林業から未来への提案」① [7] 「林業から未来への提案」② [8]
不思議なのは,林業をあやめた人たちが自己批判もせずに,依然として林業行政の一線にいることである。林業をこれほどの借金体制に指導して,何の批判も受けないなどというのは理解に苦しむ。各府県にある造林公社とか中には「みどりの公社」などという美しい名称のところもあるが,どこも借金まみれである。住専などは,それなりに膿を出している。悪質な人たちはその罪を問われた。倒産した会社もあれば,今も借金を抱えて苦しんでいるところもある。
ところが林業の借金はどこの府県とも莫大で,借金の利子だけで,どこも赤ん坊も含めて一人あたり毎日二~五円も払っている。ところが誰にでもわかるやさしい言葉で実状の説明を受けていないので納税者は黙っているが,実績をあるがままに明らかにすれば,納税者は黙ってはいまいと思う。真剣にこの借金を早く処理することを考える必要がある。さもないと,新しい林業を始めようもないのだと思う。
~中略~
今誰が現場の林業をやっているかといえば,森林所有者ではなさそうである。有名林業地でも三六〇ヘクタールもの山林を持っている山林所有者が,もう林業をやめるといっているような現状がある。危険が多い森林労働者の安全を考えながら,自己負担金を払って林業はやれないというのが理由である。個人の山林所有者が林業から手を引く中,どこで誰が林業をやっているかといえば,森林組合である。しかも,その多くが間伐などの埴栽地の撫育ではなくて,一〇〇%補助事業の「保安林整備事業」と「治山事業」である。保安林整備事業を例に取れば,実態は,これまたお粗末である。
保安林が私有林である場合,所有者の了解を得ずに保安林整備事業を進めることができない。たいていの所有者が伐期に達したとき,金になる木を植えてほしいというのでヒノキを植える。しかし,広葉樹を植えるように指導されているのでケヤキを,さらに肥料木としてヤマハンノキをあわせて植えるのだという。これなど,今林業で何が行われているかを示すいい例である。ブナ帯の保安林にこれら三種をあわせて植える。どれだけ生残するか疑問である。それだけではない。本当に整備をしなければならない保安林に植えるのではないのだ。わざわざ広葉樹を伐って植えるのだ。保安林の劣化を招くために施業が行われているといってもいい。時には埴栽するところではないところでケヤキなどの高く売れる木が伐られ,別のところに埴栽されたりするようである。
こんな無茶なことが何の批判も受けずに行われている背景には,第三者によるチェックが行われていないところに問題があるようである。結果として,森林組合がかろうじて,こうした補助事業で息をついているというのが実態である。こんな状況を野放しにしておいて,林業の再生などできるはずがない。いわば,腐りきったこういった仕組みを洗い直す必要がある。お金の流れを変える必要があろう。さもないと,林業で働きたいという有為な人材を林業に送り出すことができないではないか。
柱材の生産に特殊化してしまった今の林業からいかに脱却するかが,今林業に求められているのだと先に述べたが,そのためには,現在の林業の膿をきれいに出さないといけないのではないのではないかと,私などは暗い気持ちになってしまう。なぜ,ここまで退廃するまで誰も手をつけなかったのか。
ブナ林を潰してヒノキとケヤキと肥料木を植えるだと?なんというミスリード。
ひどい話です。ここでもまた、無能な官僚のために衰退する日本があります。
前述した間伐をしなくても育つ森とは元々生育している種類の木を育てるのが基本です。
フィンランドの手間をかけない林業も同じです。伐採後、そのままにしておけば、同じような森が再生されるのです。
無能な官僚とやる気のない山持ちには退場いただき、本気で林業をやろうとしている人々にお金が回るようにすべきです。
それならば税金をとられても納得します。日本の山を守ってくれる人々にお金をまわすべきです。
今後、都市部での仕事が無くなって行けば、仕事の供給元に農林水産業が大きな役割を持ちます。
林業はいくらでもまだ工夫しろはあります。
他業種から、企業社会で揉まれた経験を一次産業で活かすことを促す法整備、きっかけ作りなども求められます。
そして、日本の林業を成立させた後、バイオマスエネルギーとしてはどうか?
るいネット [9]
木材を燃やして日本のエネルギーにするとどれくらいまかなえる?
木材は森が復活する範囲で伐採すれば、永久に生産できる資源。
これでエネルギーをまかなうとするとどうなるだろう?
計算してみた。
木材をエネルギー換算すると4,200kcal/kg⇒4,200,000kcal/t
H20年の木生産量は19,424,000立米だが、過去最大値はS40年の56,616,000立米。生産量が落ちているのは木が少なくなったのではなく、外材に市場で負けたからであり、生産出来ない訳ではない。
とりあえず、50,000,000立米が可能とする。
これを全て燃やしてエネルギーに変えるとどうなるか?
50,000,000立米⇒20,000,000t
4,200,000kcal/t×20,000,000t=84×10・12乗kcal
日本の年間エネルギー消費量=約3600×10・12乗kcal
84/3600=0.0233
つまり、年間木材生産可能量全部燃やしてエネルギー消費の2.3%くらいです。
エネルギーの主力にはなりませんね。でも無視されるような量でもない。
使えるのは、各家庭の補助燃料と言ったところでしょう。
廃棄される木材は⇒チップとなってパーティクルボードなどに⇒それも廃棄されるときは燃やしてエネルギーに⇒灰は肥料に、といったエントロピーの流れに沿った利用法を考える必要があると思います。
木材でエネルギーを自給することには無理があります。
しかし、日本は木材を使わない選択はありません。使うならとことん使い切るのです。
これで、バイオマス林業編を終わります。
次はしばらく間をあけますが、木材などバイオマスを最後は燃やすのではなく、分子レベルで分解して違う材料として利用することを調べようと思っています。