2009-12-07

シリーズ 環境問題の核心=「国家と市場」 を超える可能性を考える⑧

超国家・超市場論8 国家(力の序列共認)と その統合限界
このシリーズも8回目を迎えました。前回は、性闘争→私権闘争をどう統合していったか?というお話でした。今回は、その私権統合が孕む限界性と、そこからの抜け道(可能性)として市場が生まれる背景に迫ります。
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超国家・超市場論8 国家(力の序列共認)と その統合限界
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画像は「朝鮮の奴婢売買:天木の活動:捉えられた黄:李同士の友情」からお借りしました。
武力支配の国家では、性闘争→私権闘争を止揚した力の序列共認⇒身分制度の共認が、生産と消費の、その分担と分配の仕組み・在り様を決定している。即ち、武力を奪われた被支配階級がもっぱら働かされ、力を占有する支配階級がその生産物(富)を一方的に収奪し、消費するという仕組みである。
(その結果、支配階級は必然的に解脱充足に溺れて堕落してゆき、周辺のまだ堕落していない勢力によって滅ぼされることになる。これも又、武力統合が孕む統合限界の一つであるが、力による制圧以外に統合の方法がない以上、力によって統合するしかなく、諸国家は数千年に亙って戦争→支配→滅亡を繰り返してきた。)
たしかに、生物は絶対的な生存圧力に対しても、それを活力源として生きてはゆく。しかし、武力社会では私権闘争の圧力を活力の源泉としながら、生涯固定の身分制度によって、私権の拡大の可能性は閉ざされている。つまり、私権の強制圧力は、もっぱらマイナスの圧力(否応なく対応するしかない圧力)でしかなく、プラスの可能性が封鎖されている。この矛盾と限界こそ、武力統合の最も本質的な統合限界となる。
そしてその限界の中に、私権拡大の可能性を持った交換取引(それは明らかに武力闘争からの抜け道である)が生まれ、繁殖してゆく土壌があったのである。

現代の環境問題は市場の誕生に端を発していると言えるでしょう。そしてその市場の誕生は、私権統合の限界に端を発しているのですね。
その限界とは、2つのポイントがあります。
①生産と消費の分断→支配者階級が冨を収奪・消費
②私権獲得が活力源であるが、生涯固定の身分制度によって、私権の拡大可能性が閉ざされているという矛盾

これを見ると、下位層にいる人たちは、まさに奴隷 のようですね。
こういった背景では、市場が生まれ、その後爆発的に拡大していくのは必然 のように思えてきます。
また、現在に①、②を当てはめてみると、①は制度という形として、辛うじて残っていると言えそうです。しかし②はほぼ無効になってしまった。と言えるのではないでしょうか。
そうならば市場が誕生した要因そのものが揺らいでいるということになり、市場そのものの存在意義を問い直す必要があるように思います。
最後までよんでくれてありがとうございます

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