新エネルギーシリーズを8回にわたって連載してきたが、どの技術も無限のエネルギーを生みだすものではない。だから、これからのエネルギー消費をどのような枠内にとどめていくのか?という問題抜きでは、どれが可能性のある技術なのか?も分らない。
そこで今回は、エネルギーの『生産と消費のサイクル』=『エネルギー循環』について考えてみたい。これについては、江戸時代のエネルギー循環を分析した『日本は【植物国家】』 [1]が、生産と消費のサイクルの参考になる。また、『循環型リグノフェノール複合体』 [2]を研究されている、船岡氏の『緑のループ』 [3]や『ミクロの視点が、森林の世界観を変える。』 [4]は、それを分子構造という視点から分析されおり、非常に興味深い。
これらの、視点を基に、『循環型エネルギー社会』について考えてみよう。
まず、『循環型エネルギー社会』という言葉があるが、なにがどう循環しているのだろう?それを読み解くために、エネルギーの特長について考えてみよう。
☆☆☆エネルギーは無くならないのか?
エネルギー保存の法則は、『ある、閉じた系の中の、エネルギーの総量は変化しない』という物理学での最も基本的な法則の一つ。次に、エネルギーの総量は一定でも全体のエントロピーが時間とともに増大する。その際、エネルギーの”質”(エネルギーの取り出しやすさ、扱いやすさ)は低下して最終的には最も利用効率の悪い熱エネルギーに変化する傾向がある。
簡単にいうとエネルギー(≒熱)は高いところから低いところへ流れるが、逆には流れない。だから、エネルギー問題においてはエネルギーの“量”よりも“質(≒取り出しやすさ、密度の濃さ、温度の高さ)”のほうが重要であり、エネルギー保存則があるからといって”人類が利用できるエネルギー量”が不変であるわけではない。
☆☆☆エネルギー循環とはなにか?
すると、このままではエネルギーは循環しない。ところが、生物は低いエネルギーを高めていく機能を持っている。その、第一段階は植物で、光合成という過程を経て有機化合物内にエネルギーを蓄積する。それを草食動物が食べ、またそれを肉食動物が食べるというサイクルをとる。そして、生物が死ねばただの物質になり、エネルギーの低い状態に分解していく。
しかし、先の法則からしても、何も無いところでエネルギーを高めていけるわけではない。それが可能なのは、絶え間無く地球の外から降り注ぐ、太陽エネルギーを利用しているからだ。その過程では大気中の非常に密度の低い炭酸ガス(無機化合物)を、密度の高い物質(有機化合物)に変換している。
《自然林のエネルギー循環》
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このように、エネルギー循環とは、
通常高いところから低いところに流れるエネルギーを、太陽エネルギーを利用して植物が高め、それを人間が消費することで再び低い状態に戻し、それがまた植物によって高められるサイクル。
のことだといえる。
これが、自然の摂理からみたエネルギー循環だ。このサイクルを持続させるには、生物がエネルギーを高めていく時間と、消費の時間の関係に注目する必要がある。この視点でリサイクルを見てみよう。
☆☆☆リサイクルはエネルギー循環しているのか?
リサイクルに関していえば、みんなの社会の為に何かをしたいという意識の高まりがさまざまな行動を加速している。しかし、その中身が自然の摂理にあっているかどうかまでは、あまり議論されていない。ここが明確になれば、もっと効果のある行動へ結びつけることが出来る。
《現代のエネルギー循環》
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たとえば、再生紙の場合を考えてみよう。スタートは、太陽エネルギーで、炭酸ガスと水(無機物)から合成されたセルロースやリグニンという高分子有機化合物で創り上げた植物の体。これらのうち、30%もあるリグンンは破棄して、いきなり炭酸ガスに還し、残りのセルロースからパルプを作る。これを、使用後に回収して再び紙に戻す。
この過程を、分子的に見ると、大量のエネルギーを投入してもとの分子を劣化させている。だから、その劣化した機能を補うために、新たなエネルギーと物質を投入して紙として使える機能を確保している。つまり、劣化した分子の機能を高めるため、再度人為的にエネルギーを投入する、自然なエネルギーの流れに逆行したプロセスになっているのだ。
しかし、紙の機能として劣化した(≒少し分解された)セルロースの束の分子も、もう一段階小さな分子のグルコースにしてまえば立派な素材になる。これからは、アルコールや乳酸などが出来る。この過程は、エネルギーが高いほうから低いほうに流れる自然の摂理とあっているので、製造に要するエネルギーは少なくてすむ。
《次代のエネルギー循環》
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このような、分子レベルの段階的利用ができれば、加工のためのエネルギー投入量は減少し、大切な森林資源を長い時間をかけて炭酸ガスに還すことが出来る。これは、紙ごみや木材を、焼却して炭酸ガスに戻すことに比べれば、はるかに自然の摂理にあっていることが分かるだろう。
☆☆☆タイムスケールと一方向の流れ
その他のリサイクルもこのような視点で見ていくと自然の摂理を踏み外していくものが多い。ここからいえることは、太陽エネルギーと生物を介在せずに、低密度状況(≒小さな分子)から高密度状況(≒大きな分子)に化学合成する過程は、その生成物から生み出されるエネルギー以上に大きなエネルギーを投入しないと不可能だということだ。
ではどうするか?まずは、人間では作り出せない、他の生物が作り出したエネルギーを有効に利用させてもらうという意識が必要だ。例えば、石油も生物が光合成した有機化合物などが、長い時間とエネルギーを加えられ利用しやすい状態(ガス化する手前)に分解されたもので、太陽エネルギーと生物の営みと無関係ではない。
そして、エネルギーの高い状態(≒高分子)から、それの低い(≒低分子)状態へと、自然のエネルギーに則った一方向の利用の流れを形成することだ。そうすれば、加工に要するエネルギー量も減る。かつ、炭酸ガスに還るまでの時間が延長される。そうすると、その間に、利用できる植物の成長が見込める。これには、最低でも何十年というタイムスケールで考える必要があるだろう。
☆☆☆林業や農業が工業生産と一体になる社会
『循環型リグノフェノール複合体』からも、石油も木材(とりわけリグニンという有機化合物)も構成要素は極めて近似していることがわかる。ここを錯覚してしまうのは、化石燃料を生みだすタイムスケールとその間の太陽エネルギーによる恩恵を考慮に入れないからだろう。だから、この2つの要素を組み込めば、現在の化学製品と中心とする持続可能なエネルギー循環は見えてくる。
まず、自然林では、樹木の寿命は500年~1000年単位で、それが炭酸ガスまで戻るには、数百年かかる。ところが、植林間伐をおこない森林を手入れしていく林業では、50年ほどで成木になる。この間に、木材から順次小さな分子製品へ転換しながら、利用して行けば50年程度の時間は稼げる。
また、これが実現できれば、森業や農業は化学工業の材料供給源としての位置を獲得でき、雇用も増やせることになる。これは、今まで別のものだと考えていた第1次2次3次産業が、一体の循環サイクルに組み込まれていくことでもある。また、その循環を維持する生産と消費の関係が、未来社会の基底的な共認事項になることでもある。
これらは、科学技術の発達度合いが低く、人口も少なかった江戸時代に、『植物国家』 [1]として実現していた。上記の内容は、400年の時を経て、新しい科学技術と新しい社会共認よって、植物国家を再生していく行為なのだと思う。あとは、より具体的な、計数比較とそれを可能にする指標の確立を急ぐだけだ。