- 地球と気象・地震を考える - http://blog.sizen-kankyo.com/blog -

シリーズ新エネルギー⑤『消費を市場から共認による制御へ(バイオマス技術の可能性)』

glucose_01.jpg
      
イラストは東北大学工学研究科付属超臨界溶媒工学研究センター [1]さまからお借りしました
      
新エネルギーシリーズは、今回からバイオマスについて連載してみたい。
   
まずはバイオマスをめぐる状況からはじめよう
    
バイオマスとは『植物資源でエネルギーとして利用できるもの』と考えてよいだろう。具体的には、植物を食べた家畜排泄物・生ゴミ・木屑・穀物・穀物の茎・草などの再生可能な有機性資源のことさす。これらは、植物が太陽エネルギー、水と二酸化炭素から光合成によって作ったものだ。
     
この原料を基に燃料としてバイオエタノール、バイオディーゼル燃料や有用化学品を製造することを『バイオリファイナリー』 [2]ともいう。リファイナリーとは精製所のことで、石油精製所の植物材料版を作って行くという意味だ。これらの製品のひとつにバイオプラスチックや工業用酵素がある。
    
この様な技術開発は、地球温暖化防止、循環型社会形成という世論に後押しされて、世界的な流れを形成している。アメリカでも、バイオテクノロジーの急速な進展を基とする産業化の強力な推進を図る国家科学戦略として位置付けされている。しかしこれは、アメリカが安全保障の必要からエネルギーを自給自足したい、という側面が強い。
    
そして、日本でも、農林水産省の『バイオマス・ニッポン』 [3]のように、すでにバイオマスの実用化についての研究開発が始まっている。この中には、地球温暖化防止、循環型社会形成のほかに、農山漁村活性化等の観点も含まれ、新工業製品を作り出すだけというアメリカ・ヨーロッパの戦略に比べて、新しい社会の構造そのものにも注目しているところが特徴だ。
    
このように、バイオマス利用技術の開発は進んでいるがその方向性に問題もある。とりわけ、アメリカ主導の技術開発の方向性には問題が顕著に現れている。そこで、どの辺りに可能性があり、どこに問題があるのか?を追ってみたい。
    


人類は、19~20世紀を通じて物的に豊かな社会を作ってきた。その原動力になったのが、石炭や石油などの化石資源だ。しかし、このエネルギーには限りがあるのがわかってきた。そこで、代替エネルギーを開発する必要に迫られた。その際に、忘れてはならない大きな視点がある。その内容を、るいネット [4]から紹介しよう。

消費を市場から共認による制御へ(バイオマス技術の可能性) [5]
   
どう考えても化石エネルギー資源を多量に使用し続ければ環境破壊がますます進行する事は間違いありません。大まかに言えば、地球上の全てのエネルギー源は太陽によるものですから、この恵みを元に気候や植物、動物が一体の系(生態系)をなしていなければなりません。
    
技術者の中には(実はこれが多数なのですが)石油が枯渇しても現在のようなライフスタイルを維持発展できる新技術として認識している方がありますが、私が特にバイオマス技術が重要だと思うのは、あくまで生態系の枠内でのエネルギー消費が持続の道であって、地下資源の破壊的収奪(後世の人は私達をきっとそう呼ぶでしょう)の異常さに気付かせる事にあると思っています。
   
石炭や石油の利用が始まる以前、生活レベルを上げるため山野の樹木を切り尽くした事例が沢山あります。建材としてのレバノン杉、燃料として樹木を切り出し禿山だらけになった朝鮮や日本、ドイツの森の事例など。
   
石炭や石油の利用が進むにつれ過去の出来事として忘れられられて行きましたが、それは石炭石油があったからです。バイオマス技術は植物のエネルギーを高効率で利用しやすいものにしますから、燃料としてマキを切り出した事例とは比べものにはなりませんが、私達が生態系の原理を忘れた時、同じ破壊に至る事に違いありません。

ここで、各国のエネルギー消費量を見てみよう。
    
☆世界の一次エネルギー消費量
%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E6%B6%88%E8%B2%BB%E3%81%AE%E5%A4%89%E5%8C%96.gif
   
画像は『財団法人 高度情報科学技術研究機構』 [6]さまからお借りししました
   
☆主要国の一人あたり電力消費量
    
pres_jigy_shuy_inde02_l.gif
   
画像は『でんきの広場』 [7]さまからお借りししました
☆日本のエネルギー消費量
   
[8] [9]
   
画像は『資源エネルギー庁』 [10]さんからお借りししました
   
このように、先進国で貧困が消滅した1970年以降も、エネルギー消費は増え続けている。その理由の一つに、途上国がその発展過程で大量にエネルギーを消費するようになったという側面もあるが、大きくはアメリカを中心とした先進国の過剰消費がエネルギー事情を悪化させていると見る方が正しい。日本も例外ではない、世界一の省エネ技術を誇る日本も、貧困の消滅以降も確実にその消費量を増やしている。

現在日本では年間50万tのガソリンが消費されています。
   
この数字を見ると、石油に代わるエネルギーとしてのバイオマス技術を開発するのは少し違うのではないかと思うのです。
バイオマスは、遥か中東の地下から運んでくる石油と違って、限定的な地域でエネルギー循環を確認しながら使用する事ができます。使い過ぎたり、土地が痩せたりすれば当然、使用制限に至ります。この明快さが私達のエネルギー消費を必然的に生態系の枠内に納める事が期待できます。
また前提として、技術だけでなくエネルギー消費を制御する共認形成や具体的な制度、体制が必要です。この点は、現在のようにエネルギー消費を市場原理に委ねた体制からの変革が必要になるはずです。

   
アメリカを中心としたバイオリファイナリーの技術開発の目標は、現在の浪費生活を変えずに、必要なエネルギー(≒ガソリン)をバイオで代替しようというものだ。つまり、1年かけて育ったトウモロコシをから精製したバイオエタノールを一瞬のうちに燃やして自動車燃料に使用する計画だ。その必要量を確保するためには、 アメリカ国内外の食料としてのトウモロコシなどに依存することになる。このことが、トウモロコシを食料にしている途上国経済を圧迫している。
    
つまり>限定的な地域でエネルギー循環を確認しながら使用する事ができます。
    
を超えた技術開発になっているのだ。ではどうすればよいのか?
    
まずは、食料となる作物を転用してバイオエネルギーを抽出するのは避けることだ。その技術として、茎や藁や木材廃材や草など(セルロース系)を利用して、バイオ燃料や石油由来のプラスチックと同じような製品を作る技術が開発されている。
   
現在のところ採算が悪くて実用化に至ってないが、これも、市場という枠内での話だろう。例えば貿易停止で石油が手に入らないような状況を想定すれば、ある程度高価でも必要な箇所には使わざるを得ない。このための効率化が技術開発の課題だろう。
    
もう一つは、生産と消費サイクルを明確に共認することだ。
   
現在の技術開発の大きな課題に効率化≒スピードというものがある。例えば微生物を使った精製では、そのスピードを上げるために遺伝子組み換えを行い、大量のエネルギーを投入して反応速度を上昇させている。この結果、どのバイオ技術も採算があっているとはいいがたい。また、原料の成長効率を上げるため、大量のエネルギーを投入した化学肥料を施している。
        
しかし、太陽エネルギー、水と二酸化炭素から光合成によって植物が成長するには時間がかかる。たとえば、一年草を原料にするなら、次の原料が育つまでの間、原料は供給されない。これは、何十年というサイクルで育つ木材についても同じで、一旦切り出して使用したら、次の木が生長するまでは供給できなくなる。
   
また、バイオマスはエネルギー密度が薄く、集中して大規模な施設を造っても、広範な地域から原料輸送を行わなければならないため、運送費の方がかさんでしまう。そうすると、地域に分散した小規模なシステムのほうが適していることになる。つまり、エネルギーの地産地消ということだ。    
        
以上より、現在のバイオ産業の採算が合わないのは、自然サイクルを超え、地域性を無視して消費しようとするからなのだ。つまり、バイオ利用に限れば、自然サイクルと整合し地域内でまかなえるだけしか消費できないということだ。このような事例としては、醸造などのバイオ技術がある。これらは、小さな地域で、1年もかけて熟成を行い製品にする。そして、その間は殆ど手間はかからない。これらは江戸時代の発想そのもので、
    
に詳しい。
         
日本は【植物国家】(1) [11]
日本は【植物国家】(2) [12]
日本は【植物国家】(3) [13]
     
ではどれ位の技術が実用化されているのだろうか?例えば、自動車燃料用のバイオエタノールなどの高度純化製品は、生産過程そのものかかるエネルギーの多さもあいまって、実現事例とはいいがたい。あったとしても、補助金でまかなっているか、石油依存システムの補完物程度と見る方がよい。
     
その中でも、自然のサイクル地域性という視点に合致した実現態はある。それは、複雑な生成過程を経ず、製品化に伴って排出される残渣をエネルギーにし、生産過程のそれを殆どまかなっている地域システムだ。
          
徳之島の南西糖業株式会社 伊仙工場 [14]
      
top.jpg
     
ここでは、サトウキビを原料に砂糖を生産している。その際に発生する、搾りかすを燃料に、ボイラーを炊き蒸気を作っている。その蒸気を工場生産過程に利用するとともに、発電にも用いている。その結果、電気と熱という生産エネルギーの殆ど自給している。これは、熱と電気の両方を生みだすことから、コジェネレーションシステムという。このような事例は、エネルギーの産地消費の可能な、パルプ、製材所、製糖工場などに多い。 
     
こう考えていくと、バイオエネルギーというものは、私たちの生活や生産自体を自然の摂理に合わせたものに戻していくこと無しには成立しない、ということが解かる。また、例えば現在の生活を1970年前後まで落としたとしてもバイオマスですべてのエネルギーをまかなうのは不可能で、これ以外の代替エネルギーも必要である、ということ言えるだろう。
     
ただ、もっと注目すべき点がある。それは、バイオマスエネルギーは太陽の恵の中にある農業や林業に大きく依存していることから、バイオマス産業とはそれらを包摂統合する新産業であることだ。そして、その複合的製品供給のためには多くの人の活動が必要になり、現在の過剰生産業種からの移行先にもなる。
     
だからその活動は、人類が自然の摂理へ合致した、新しい社会を作るための具体的は生産基盤になりえる、と言える。例えば、林水産省の『バイオマス・ニッポン』 [3]の中の『バイオマスタウン』 [15]という農山漁村活性化計画の視点に、このような認識も組み込んでいけばさらに実現性は高まるのではないか?。
    
これは、市場原理で破壊されてしまった『里山(さとやま)』 [16]が、現代版として復活するということかもしれない。
     
画像は『バイオマス情報ヘッドクォーター』 [17]さんからお借りししました
   
bt1s.gif
   
次回は、食料と競合しないセルロース(≒茎)系の技術動向を中心に、バイオマスを利用した循環システムの事例についてレポートしたい。    
    

[18] [19] [20]