
アテネの現在、中央がパルテノン神殿
前回のシュメールに続いて古代ギリシアを扱います。
ギリシア人は、紀元前2000年ごろ北方のマケドニア方面から南下を始め、前800年頃都市国家を形成しました。もとは農耕部族でしたが、海岸地帯に進出して都市国家を形成、アテネは海洋都市となり交易に従事。一方スパルタは農耕にとどまりました。
プラトン「クリティアス」のなげき、都市国家の自然破壊
ギリシア・ローマの自然に関する思想 [1]より引用します。(プラトンはギリシアの最強都市アテネのほぼ最盛期に生きた哲学者。)
、、森林破壊と土壌浸食の影響をもっともいきいきと描写しているのはプラトンの『クリティアス』である。
『昔に比べれば、今残っているものなど病人の骸骨のようなものだ。肥沃で柔らかな土は失われてしまい、後にはむき出しの大地の骨格だけが残っている。
今ではハチのエサ以外に何もない山でもそれほど遠くない昔には木が生えていたのだ。そこには植林された多くの高い木があり、家畜達の無限の牧場となっていたのである。
その上、かつて大地はゼウスのお恵み下さる毎年の雨で潤っていた。その雨は今のようにむき出しに土地から海に流れ込んで再びゼウスの元に帰ることはなかった。土壌は深く、その黒い土は水を十分に蓄えた。そして、土はあらゆる場所に豊かな泉や小川の水をもたらした。だが、今ではかつて泉のあった場所には神殿が残っているにすぎない』
この文章からプラトンの時代にすでにかなりの土壌侵食が進行していたことがわかる。
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ギリシアの神々、その主神ゼウスは『闘争の神』
自然破壊がかなり進行していた都市国家、彼らギリシア人は、「森の神々への尊敬の念」を失っていったのではないでしょうか。
注目すべきは、「オリンポス12神」の主神ゼウスです。
ゼウスは、戦争に明け暮れる闘争の神なのです。畏怖すべき対象としての自然を表すのではなく、(戦争の時代、私権闘争の時代を反映して)闘争の象徴なのです。実際、ギリシャ神話ではゼウスは戦争に次ぐ戦争をへて王権を確立する過程が描かれます。ギリシア人が崇めていたのは、もはや、畏怖すべき自然でなく、力の象徴、闘争の象徴ゼウスなのです。
以下ウィキペディア、「ギリシャ神話、オリンポス神の台頭と勝利」 [2]からの引用です。(あまり細かく事件を追っていただく必要はないと思います。疲れます。戦いに告ぐ戦いの連続というのを感じ取ってください。)
ゼウスたち兄弟姉妹は力を合わせてクロノスとその兄弟姉妹たち、すなわちティーターンの一族と戦争を行った。これをティーターノマキアー(ティーターンの戦争)と呼ぶ。彼らはティーターネスに勝利し、ティーターン族をタルタロスに幽閉し、百腕巨人(ヘカトンケイレス)を番人とした。こうして勝利したゼウスたちは互いに籤を引き、その結果、ゼウスは天空を、ポセイドーンは海洋を、ハーデースは冥府をその支配領域として得た[39]。
しかしゲー(ガイア)はティーターンをゼウスたちが幽閉したことに怒り、ウーラノス(天空)と交わり、ギガース(巨人)たちを生み出した。ギガースたち(ギガンテス)は巨大な体と獰猛な気性を備え、彼らは大挙してゼウスたちの一族に戦いを挑んだ。ゼウスたちは苦戦するが、シシリー島をギガースの上に投げおろすなど、激しい争いの末にこれを打破した。これらの戦いをギガントマキアー(巨人の戦争)と呼称する。しかし、ゲーはなお諦めず、更に怒ってタルタロスと交わり、怪物テューポーンを生み出した。テューポーンは一時、ゼウスを捕虜にするなど、圧倒的な強さを誇ったが、オリュンポス神族の連携によって遂に敗北し滅ぼされた[40]。
かくして、ゼウスの王権はここに確立した。
オリンポス12神は【自然や動物の力】を表すもの
ギリシャ人は私権社会に突入して「闘争の神」ゼウスを崇め、自然への畏怖を忘れてしまったのか。必ずしも、そうとはいえません。なぜなら、オリンポス12神は【自然や動物の力】を表すものとして神話に登場するからです。例えばポセイドンは海の力を表し、アポロンは太陽と音楽の力を表します。アルテミスは月、狩猟の神、、、などなど。
[3]
太陽神アポロンの息子、パエドンの逸話~自然には超越的な力がある
下記に紹介するアポロンの息子、パエドンの話は、ギリシア人が自然に超越性を認めていたこと、畏怖の念を残していた事が感じられます。spaceさん [4]より引用します。アポロンは神だが、パエドンは人間。人間の身勝手な自然に対する態度が、どのような帰結をもたらすかが書かれている。
太陽神アポロンの息子にパエトンという子供がいました。
パエトンはアポロンの息子であることに誇りをもっていましたが、友人の
誰もがそれを信じようとしないので、パエトンはそれを確かめるために
アポロンの住む宮殿を訪ねました。アポロンはパエトンが自分の息子であることを認め、その証拠に願いを何でも1つは叶えてやろうと言いました。
するとパエトンは友人達に自分がアポロンの息子であることを証明するために太陽を曳く馬車を運転させて欲しいと頼みました。この意外な申し出にアポロンはひどく渋りました。
馬車を曳く馬はひどく気性が荒く、アポロン以外ではたとえ神々といえ
操ることができなかったからです。だがパエトンはアポロンの言葉を盾にとり、反対を押し切って馬車とともに大空へ飛び出して行きました。
馬車ははじめ順調に進むかに見えました。ところが馬達は手綱を取るのが
アポロンでないと知った途端、暴れはじめ馬車は滅茶苦茶に走りはじめてしまったのです。馬車が近づいたものはすべて太陽の火に焼かれ、多くの森や都市が火に包まれてしまいました。この惨状を収拾するべくゼウスは雷光を放ってパエトンを撃ち殺しました。パエトンの亡骸は転げ落ち、
はるか下方のエリダヌス川(エリダヌス座)へと落ちていったのです。
自然の力(摂理)を組み込んだ、ギリシアの神々。しかし、闘争の神がそれを支配する
ギリシャの神々は自然の力を表す物として神話に登場する所から、ギリシア人が自然に畏怖し超越性を認めていることが伺えます。
しかし、本当の所はゼウスの闘いに見られるように、主に関心は同類闘争にあり、自然の力はそのために使っているに過ぎないといえそうです。前回扱ったシュメールのギルガメッシュは、森の神を殺し後悔と苦渋にさいなまれましたが、ギリシアでは自然は同類闘争に利用する対象となり、一段人間の都合へと変質してしまっているのです。