- 地球と気象・地震を考える - http://blog.sizen-kankyo.com/blog -

地球環境の主役 植物の世界を理解する⑱ 東アジアの一年草 稲栽培

Posted By yosiyosi On 2009年6月20日 @ 8:00 PM In D.地球のメカニズム | 5 Comments

日本をはじめアジアの多くの国々で主食として栽培されている稲はいつ、どこで生まれたのでしょうか?
東アジアの農耕部族は、なぜ湿地帯に生育する1年草(稲)に行き着いたのでしょうか? 
 
今回は、アジアモンスーン地帯の気候変動と稲の栽培開始を取り上げてみたいと思います。 
 
%E3%82%A4%E3%83%8D.jpg 
 
稲作起源については、最近のイネのDNA研究により、長江中下流域が発祥地という事になっています。 
 
それでは、本題の前にいつものポチッと応援よろしくお願いします。 
 
 
 
 
 


①森と海の狭間に生きるモンゴロイド(スンダランド人) 
 
アフリカ→西アジア→東アジアと移動してきた人類が、7万年前にスンダランドに定着しました。これがモンゴロイドです。スンダランドとは、タイ、インドネシアを含む、南方の大陸です。スンダランド人(モンゴロイド)は、「森の幸・海の幸」(森と海の狭間)によって生活を営んでいた人々と想定されます。 
 
2万年前のアジアの気候をみてみます。 
 
最後の氷河期(最盛期)は、2万年前です。
巨大な氷河に、膨大な水が蓄積されますので、海水量が減少し、海面が約120mも低下しました。スンダランドが最も大きな大陸だった時代です。
一方、この時代は、氷河期・寒冷期ですので、長江地域は、寒帯針葉樹の森林が主流でした。 
 
森と海の狭間の人々、スンダランド人にとっては、長江流域は、まだ、住める場所ではありませんでした。 
 
②長江下流域に辿り着いたスンダランド人、~気候変動による逆境~ 
 
[1] 
 
2万年前の氷河期最盛期を境として、地球は温暖化の時代に入って行きます。 
 
温暖化により、中国大陸は落葉広葉樹林帯が拡大、木の実の豊かな森が広がって行きました。
海面が上昇し、長江流域深く、海が進入していたと想定されます。
「森と海の狭間の民」スンダランド人が、長江流域に移り住んでいったのです。
(1万5千年前の温暖化或いは1万1千年の温暖化の時代ですね。) 
 
しかし、その後、千年、2千年単位の気候変動による「寒冷期」を向かえます。
寒冷化により海が遠のき、湾岸が湿地化(注)して漁労が困難になります。また、森は豊富な木の実をつける落葉樹が減少し、針葉樹化します。同時に森の動物も減少します。
スンダランド人の食料の大半を担ってきた、海の幸・森の幸の両方が、大きく損なわれて行ったです。 
 
 注:東アジアはモンスーン気候の為、西アジアと異なり、寒冷化しても乾燥化には至らず、海岸線後退後の沿岸部は湿地化したと考えられます。 
 
③海の幸に代わる湿地帯の草 
 
漁労の道が閉ざされてしまった彼等は、海の魚介類に代わる安定した食物、すなわち湿地帯の草を栽培し、食の糧にしようと考えたのです。最初は色々な草を栽培したと思われますが、その後草類の中で多く実をつける草(稲)が最適と考え、ここから稲作が始まったと想定されます。 
 
稲作起源地、長江流域の遺跡から確認されていることは、以下の点です。
カシやシイそれにクスなどの、落葉樹に比べやや木の実の豊かさが劣る、常緑広葉樹の深い森。
長江下流域の三角州や中流域の湖沼地帯に湿地草原が広がっていた。
揚子江下流域に於ける花粉分析の結果、カシ類やシイ類とともにイネ科や水生草本類の高い出現率が報告されています。
  %E6%B9%BF%E5%9C%B0%E5%B8%AF.jpg
  写真出典:邪馬台国大研究ホームページ「河姆渡遺跡展」 
 
(参考)最近の稲作起源と伝播 
 
上海の南に河姆渡(カボト)と言う遺跡があり、栽培稲の稲束が発見されました。
その後、長江流域の古い遺跡を掘るたびに栽培稲が発見され、稲作は、長江流域で開始されたと想定されています。(育種遺伝学者佐藤洋一郎が稲の葉緑体DNA分析により、「長江中下流域が稲栽培の発祥の地」を唱えています。)
inasaku_MAP.jpg
 図出典:佐藤洋一郎著「DNAが語る稲作文明」(但し、色づけしました。) 
 
長江流域の発掘調査に基づくと、中国の最も古い稲作遺跡は6,000年ないし7,000年前のものであり、これらの遺跡は全て長江の下流、それも江蘇省の南部から浙江省の北部にかけての狭い地域に集中しています。(河姆渡遺跡もその一つです) 
 
これより1,000年から2,000年ほど新しい、5,000年前の遺跡(図で○)になると長江の中流一帯に広くみられます。恐らくこの頃には稲作は長江の中流から下流一帯に広がるようになったのでしょう。そして△で描いた今から3,000年位前の遺跡は、今の中国の稲作地帯のほぼ全域に及ぶようになります。
このデータから推測すると、中国の稲作は長江の下流で生まれ、長江を遡り雲南へ到達したり、より寒冷地に強い品種改良をしながら、北方地域へと広がって行きました。 
 
 
熱帯・亜熱帯の草である野生のイネが、温暖化により長江流域まで広がり、この野生イネは、その後の寒冷化に適応し、寒冷期を乗り越えて、長江流域の湿地で生き延びたと考えられます。 
 
寒冷化を乗り越えた野生のイネを前提にして、長江中下流域でイネの栽培が始まっています。
これが「寒冷地にも強い稲=ジャポニカ米」と「熱帯で栽培されているインディカ米」の2系統が存在している事に関係しそうです。 
 


Article printed from 地球と気象・地震を考える: http://blog.sizen-kankyo.com/blog

URL to article: http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2009/06/545.html

URLs in this post:

[1] Image: http://blog.sizen-kankyo.com/blog/ine.html

Copyright © 2014 自然の摂理から環境を考える. All rights reserved.