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お産を追求しているのは、何で?~お産を本気で追求したい その11~

お産シリーズもはや11回目を向かえます 😀
今までは、こちらをご覧下さい。 Z1.身体の自然環境 [1]
このお産シリーズは、主に女性6人 で追求しています。
ちなみに、みんなまだ未婚で妊娠している人もいません
そんな女たちが、なぜ、お産を追求しているのか?
疑問に思いますよね
今日は改めて
「お産を追求しているのは、何で?」
を扱います。
いつも応援ありがとう


現在女性のお産へのイメージは
痛い、怖い、苦行etcマイナスイメージ が多い
さらには、そもそもお産のイメージが湧かないという人も
現在は、女性にとって、お産が非日常になっているんです!!
なぜ、こんなことになっているのでしょうか?
昔はどうだったのでしょうか?

まずはお産の歴史から。
<お産の歴史>
戦前(1945年以前)までは、お産婆さんによる、自宅出産が当たり前でした。
当時、お産婆さんの役割は、赤ちゃんを取り上げるだけではなかったのです
例えば・・・
お産が行われるときは、ご近所の女の人たちがお産のお手伝いに自宅にやってきます。
女の人の中には、おしゃべりな人 とかもいて
「お産の時、すっごい声をあげていた
と言いふらす人 とかもいます。
そんな女の人がいると、妊婦さんは安心して出産できないですよね
(安産をするには、妊婦がリラックス することが重要なんです。)
だから、お産婆さんは、すかさず、そういった人を見抜きます
そして、そういった人は
「台所で、お湯の準備 をお願いします。」
といって部屋から追い出すそうです。
(こうやって言ったら角が立たないですよね。)
つまり、お産婆さんは、妊婦さんが安心して生めるように、場を上手に仕切るという役割も担っていたのです。
このように、昔はお産は「女集団」の中で行われていました。(医者の立ち会う医療行為ではなかった。)
それが戦後、大きく変わります!
戦後のGHQ政策により、アメリカの医療制度をモデルとした制度改革が行われます。
保健婦助産婦看護婦法(昭和23年)の制度により、お産婆さんの多くは助産婦となり、病院での勤務に変わります。
それによって役割も大きく変化します!
これまで、
妊婦を助けていた役割から、
産科医を助けるという役割に降格したことを意味まします。

(かつては妊婦さんの安心の場も作っていたのに・・・。)
この制度改革により、自宅出産から病院出産へと大きく変化していきました。
その変化のスピードもすごいです
<自宅出産の割合>
1950年:95%   1960年:50%   1965年:20%   1970年:5%
わずか20年で出産する場が、自宅から病院へ逆転
これは、すなわちお産が、日常から非日常へ転換していったということ。
この急激な変化って、制度だけが原因なの?
その背後にある深い原因は?

昔(戦前1945年以前)は、生きる場は現在のような家庭ではなく、共同体でした。
共同体とは、生産と生殖が一体となったもの。
共同体では、子供は重要な生産の担い手でした。
だから、お産は集団の課題=みんなの課題でした。
お産はみんなの期待だったし、女もその期待に応えることで充足していました
現在は、共同体は崩壊し、核家族化が進行
生産と生殖が分断され、産む産まないも個人に委ねられてしまっている
今は、女たちがお産について考える場=当事者となる場がなくなってしまった!
それが、安心できないお産、さらには、子育て不安に繋がっています。
じゃどうしたらいい?
お産を今、女たちの手に取り戻すことが、必要なんです!
そして、女集団、さらには共同体を再生していくことが今求められている!!

それを実現していくためには
社会構造や歴史構造を勉強して、実現基盤を発掘していく!
いい女 になって、 充足パワー で周りを巻き込んでいく
これを実行していきたいと思います 😀

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