今回は先のpart2~大豆~ [1]に続き、「食料の輸入が途切れたたらどうなる?part1」 [2]で取り上げられた小麦について調べてみました。
小麦は、昭和30年代から比べると、主食である米に替わり小麦による製品(パン、麺類、菓子等)の消費量が大きくなっています。
一方大麦は、麦飯として主食の一部であったり牛や馬の飼料として大量に消費されてきましたが、今や米離れ以上に麦飯はほとんど食卓に見られない状況にあります。 🙁
食生活の変化が大きく影響している中で小麦の消費量増加と自給率の低下、この自給率を回復するにはどうしたらいいのでしょうか。
では中味をみる前にぽちっと お願いします。
まず、消費量と自給率がどの様に推移してきたかをみてみると、
1.小麦の消費量
農林水産省 [3]
品目別データ(生産量、消費量、輸出入量等) [4] に示されるように国内消費仕向量が昭和35年:400万トンから620万トンへと約1.5倍になっています。
それに対して、小麦の自給率は、
2.小麦の自給率
農林水産省 [3]
日本の自給率 品目別自給率の推移(昭和35年度~平成18年度 [5]
に示されるとおり、国内生産量が減少し輸入量が増加した結果、小麦の自給率は昭和36年の43%を頂点に下がり続け、現在では13%程度になっています。 🙁
では、消費が増加した小麦の用途別の生産割合はどうなっているかというと、
3.小麦の用途別生産割合
2005年の上図によると、パン、めん、菓子で全の約85%を占めます。
つまり食生活の大きな変化を背景にパン や菓子
などが増加し、めんも和食だけではなく、洋食の増加も含まれているようです。
では、小麦の消費量が増加したにも関わらず、国内生産が減った(自給率が減った)のはなぜなのでしょうか。 🙄
4.市場を背景にした麦作の衰退
庭プレス [6]より引用
関東地方で麦作が衰退した原因はいくつかある。何よりも首都圏の拡大により多くの農地が消滅したことだ。しかしそれ以上に深刻な影響を与えたのは、政府の農業・食料政策だった。高度成長が始まる60年代初頭、政府は生産コストの高い国内の麦作は放棄し、価格の安い外国産の麦に全面的に依存することを決めたのである。麦作が衰退したのは関東地方だけではなかった。全国で起こったのである。
日本は増産と国内の農業を育成・守る 政策を捨て、安い外国産を購入し、そのみかえりに、工業製品の輸出を推し進めようとする政策に転じたのがその背景にありそうです。
では小麦の自給率をUPさせるにはどうすればいいのでしょうか。
5.自給率UPに向けての対策
日本において、麦は古くから米の裏作として作られてきた経緯があります。
まず、この裏作について考えてみると、
農林水産省 [7]のレポートに以下のような内容があります。
水田の輪作を考えた場合、関東以南の暖地、温暖地では、水稲と麦類との二毛作が可能ですが、東北地方になると二毛作は困難となり、さらに、北海道の水田では1年1作が基本となります。
よって、自給率が高かった昭和30年代のように、裏作を広く復活させることが必要となります。
昭和36年の消費量(420万トン)と自給率(43%)からすると、当時国内生産量は約180万トンあったことになります。
しかし、現在では当時の農地面積から約2割減少 [8]していますので、当時と同様の比率で裏作を行なったとすると生産量は約145万トン位までは確保できることになります。
これは現在の自給率で換算すると約23%になり、現状値よりは10%程度高められそうです。
しかしこの結果からすると、裏作だけでは小麦の自給(100%)は追いつかないことも確かです。
次に米との関係を考えてみます。
単位収穫量は米が5t/haなのに比べ小麦が1.5t/haですから、農地の少ない日本では米作を主体に行なわないと、食べていけないという背景もあるようです。
寒冷地であっても、麦作にならず、米作を必死に続けたのはこの単位面積あたりの収穫量、カロリー量ということでしょうか。
ですからパン食から米食へ回帰し、小麦の消費を減らしていくことを考えないと、到底小麦の国内生産量だけでは賄えないことは明らかなようです。
また、小麦大麦は水利が無くても比較的簡単に栽培できるそうです。可能な限り自給率を上げていくには、自家消費分だけなら、庭でも可能らしく、道具も簡単なものでよいらしい。といっても都会ではそういう庭も無く、収穫、加工技術を誰もが持っているわけではありません。だから企業や地域での共同作業が不可欠になります。
以上から自給の時代に必要なのは、裏作を可能な限り広めることを前提に、
1.食生活を米食主体の和食に回帰する。
2.企業や地域仲間同士で道具やノウハウを共有し合う共同作業による自家生産
が必要になると思います。