こんにちは~:D
環境ホルモンシリーズ第三弾です
今回も引き続き、『なぜ環境ホルモンがあれだけ盛り上がり、急速に沈静化したのか?』という問題を、考えていきたいと思います。
その2では、この現象を引き起こした【マスコミの問題】を詳しくお話しました。
要するに、マスコミが根拠もないのに報道をしたり、むやみに危機感を煽ったりしたために、「環境ホルモン」という言葉だけが一人歩きをしてしまった…というのが大元の原因ではあります。
ただ、この問題がここまで大きくなったことの要因には、そのマスコミの情報を受け取る側の意識も影響していました。
今回その3では、もう一つの要因である【大衆の意識の問題】について、考えていきたいと思います
では、続きはぽちってしてからでお願いします
【大衆の環境意識の高まりと目先収束の問題】
環境ホルモンに限らず、環境問題が盛り上がってきた背景には、大衆の意識の変化がある。
かつては豊かさ(利便性・快適性)を求めて、みながその実現に向かい収束していた時代から、豊かさが実現したことで、人々の意識は新たな収束先を求めて、安全性・環境第一を重視する意識へと変換していった。
そういった大衆の意識が「環境ホルモン」を盛り上がらせた要因の一つであるし、またその大衆の意識を知っていたからこそ、マスコミはわざと危機感を煽り、結果注目を集めることができたわけである。
ここで問題となるのは、人々は意識では、安全性・環境第一を求めているけれども、その解決のために本当に必要なことからは、目を背けていることです。
本当に必要なことは、「大量消費・大量生産を繰り返している”市場”のシステムを変えていくこと」なのです。しかし、一度手に入れた利便性・快適性を捨てきれず、その「変えていかなくてはならない」現実は捨象して、あくまで市場のシステムの中で、安全性・環境にいいことを求めているにすぎないので、一向に解決はしない。
「市場は捨てられない」、でも「安全性・環境改善(いいこと)にお金を使いたい」
という意識が根底にあるので、結果的に飛びつく先が、マスコミ発の「一見よさそうなもの(例えば、リサイクル)」という、目先の答えになってしまう。
でも結局それは、問題の根本である”市場システム”を残したままなので、中身がなく何も解決しないままなので、時間が経って熱が冷めると、うやむやになって忘れられていく。
本質の問題である『市場の問題』は見ずに、目先の答え(らしきもの)に収束する→結論は出ない→うやむやになる→沈静化していく
この構造が、環境ホルモンに限らず、どんな環境問題においても言えることであり、次から次へと問題提起されるものの、一向に解決しない理由なのです。
以上まとめると、環境ホルモン問題は、マスコミの根拠不足の過熱報道により盛り上げられ、さらにそれに本質は見ずに目先(マスコミ)の答えに収束する大衆意識があいまって、一時期急激に盛り上がり、しかし実際根拠はあいまいであったので、いつの間にか盛り下がって忘れられていった、というのが全容です。
この環境ホルモン問題を考えていくことで見えてきたことは、マスコミの捏造・過熱報道も問題ですが、要は、それを受け取る側(わたしたち)が、それに踊らされていることに気づくことが大事だということです。
そのためには、例えば「環境にいいことしたい」と思うなら、「やらないよりはやるほうがマシ」という意識でリサイクルに協力するということに留まるのではなくて、「実際、環境問題って何なの?なんで問題なの?」という事実を追求していくことが必要なんだと感じました。
このシリーズを読んで、その必要性を感じてくれた人は、
ぜひ、事実追求サイト「るいネット [1]」で、一緒に事実を追求していきましょう
では、環境ホルモンシリーズはこれで終了となります。
長々お付き合いありがとうございました